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27歳ただの理学療法士が借金1000万以上を背負い返済していくノンフィクションストーリー

【借金返済ブログ】1000万円以上の借金を抱えた27歳理学療法士の下克上物語

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下克上物語1章
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私の当時の年収は300万円弱。 どこにでもいる、ごく普通の理学療法士でした。 そんな私がまさかの借金1300万円を背負うことに。4年間タダ働きをしても返せない、絶望的な状況でした。 でも今も諦めずに生きています。 失ったお金を必ず取り戻し、そして絶対「億り人」になる! そんな現在進行中のノンフィクションストーリーです。

 

2016年の年末、一歩間違えばはこの世にいなかったかもしれません。

今から1年と4ヶ月前の話です。

 

 

僕は1300万円の借金を背負いました。

 

当時の年収は300万円とちょっと

 

4年間飲まず食わずで生活しても返せない・・・

気が付いた時には、そんな途方も無い金額に借金は膨れ上がり、僕は絶望のどん底にいました。

 

借金生活の始まり

 

僕が借金を背負った原因。

 

それは投資です。

 

もともと株に興味があった僕は、25歳の時に株式投資スクールに入りました。

 

当時ごく普通の理学療法士だった僕は、手取り19万円ほどの給料しかありませんでした。

そのため休日にバイトをして貯めたお金で、スクール代の24万円を支払いました。

 

スクールの内容はとても合理的で、

「これは本当にいけそうだぞ!」

 

当時の僕はそう確信しました。

 

でもスクール代を払ってしまっていたので、肝心な投資をするお金がありませんでした・・・

 

 

 

・・・借りるか。

 

少し迷って結局銀行3社から350万円のお金を借りました

 

借金物語

(350万円をくわえて自撮りする当時の愚かな僕)

 

この時借りるにしても、50万ぐらいにしとけばよかったんですよね。

でも当時の僕は自己啓発本を読み漁り、貪欲に成り上がることしか考えていませんでした。

 

どーせ増やすなら元手がでかい方がいいだろう。

近い将来何億も稼ぐんだから350万ぐらいなんとも無いわ!へっ!笑

 

本気で当時はそう思ってました。

 

順調すぎた株式投資

 

金を借りてやるからには本気でやろう。

元来ヲタク気質な僕は、株の世界にどっぷりのめり混んで行きました。

 

会社四季報を読み漁り、決算の前には気になる企業のIRに直接電話で問い合わせるほどの気合いの入れようでした。

その甲斐あってか、本格的に投資を初めて2ヶ月弱で100万円以上の利益が出ました。

 

借金 物語

 

この頃はガンガン儲かる株が楽しすぎて、株式投資スクールの先生のもとを、コースが終わっているにも関わらず、毎週訪ねて株のことを教わっていました。

もともと借りた金なのに、信用取引なんかもはじめました。

 

貯金は0なのに、信用だけで1000万以上のお金を動かし、どんどん金銭感覚がおかしくなっていきました。

※信用取引とは、投資資金の最大3倍の金額で取引ができる取引方法です。

 

ただ、その成果かその後も順調に資金は増えて行きます。

 

返済 物語

(当時の証券口座の中身)

 

何これ?株って超イージーモードじゃん!人生ってなんて簡単なんでしょう?サラリーマンのみなさん、天才でごめん!

 

完全に調子に乗っていました。

そう、この時はアベノミクス相場で簡単に勝てる相場だということは知らずに・・・

 

株式投資スクールの講師に就任

 

そんな感じで順調に株の運用を続けていると、その僕が通っていた株式投資スクールが、規模を拡大するということになりました。

そこで講師兼社長の先生から声がかかりました。

 

君も講師にならないかい?

株の先生兼社長

 

僕のあまりの気合いの入りように、先生も僕のことを信頼してくれるようになっていました。

僕には本業の理学療法士の仕事の方でお店を出すという目標があったので、

 

常勤は難しいですが、非常勤ならできます

 

と言って、株式投資スクールの非常勤講師として活動することになりました。

 

借金返済物語

 

ここからさらに話が大きくなって行きます

 

「株式投資スクールの講師になりましたー!」

Facebookでこれを公開して少ししてから、学生時代の友人からこんな相談を持ちかけられました。

 

俺2年間海外に行くから、その間おまえが俺の資金運用してくれない?

学生時代の友人A

 

むむむ・・・

 

・・・これはもしかしたら大チャンスかもしれない!

ちなみにいくら?

 

900万

学生時代の友人A

 

ええええええええーーーーー

 

きゅ、きゅきゅうひゃくまんんんんんん!!!!

 

これ超ビックチャンスやーーーーん!!

まじで億れるかもしれん。

 

ということでポジティブで単細胞な愚かな僕はこの案件に乗ることにしました。

 

この時の条件
  • 元本保証
  • 年利10%で、それ以上の利益は僕がもらえる
  • 1年更新制

 

他にも細かい条件がありましたが、ざっとこんな感じでした。

 

 

そうなんです。これが悲劇のはじまりでした・・・

 

人生の歯車が狂いだした

 

この案件が決まってから僕は、さらに稼ぐために色々な手法を独自に勉強し始めます。

今まで年利1.5〜2倍ぐらいで運用してきた手法がありましたが、もっと確実にもっと圧倒的に稼げる方法があるんじゃないか?

 

そう思うようになってきたためです。

今思えばこれが大きな間違いでした。

 

専業トレーダーに転身

このころ、人のお金を900万も預かるなら市場の開いている時間は画面に張りつこう。

 

そう思い、フリーランスになって、平日は15時過ぎから非常勤の理学療法士やジムのパーソナルトレーナーのバイトをするようなスケジュールを組みました。

 

そして投資に関しては、投資関係で知り合った方から勧められて

『ライブ中継で当たり屋が売買銘柄を教えます』

 

という月額5万円のサービスに登録し、言われた通りに実践することにしました。

 

理由は、

『プロにお金払ってリアルタイムで銘柄教えてくれるならそれが一番堅いんじゃね?今ままで成功していたやり方よりももっと稼げそう』

 

と思ったからです。(細かい手法の話はまた今度記事にします)

 

安易ですよね。そんなに世の中甘いわけないのに・・・

 

そして破滅へ

 

このやり方を始めたころは、ちょうどアベノミクスから3年が経ち日本経済の雲行きも怪しくなってきたタイミングでした。

僕は2015年秋に専業になり、まだはじめの頃はまあ割と順調だったんです。

 

この頃はまさかこんな未来が待ち受けていようとは思いもよりませんでした・・・

 

悲劇の始まりは年明け

 

2016年1月、年明けとともに日経平均は大暴落を始めます。

あれよあれよという間に20000円近くあった日経平均株価が、16000円台まで下がってきました。

 

でも正直このあたりは僕はリスクヘッジをしていたので、多少マイナスでしたがまだまだなんとかなりそうな状態でした。

 

問題はこのあとです。

 

日銀政策決定会合でマイナス金利発表からのチャイナショック

 

2016年1月29日、日銀政策決定会合で日銀は『マイナス金利』を発表します。

日銀政策決定会合とは

日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の会合のうち、金融政策の運営に関する事項を審議・決定する会合を、金融政策決定会合といいます。

 

引用元:日本銀行「公表資料・広報活動」(アクセス2018/3/8)

https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/seisaku/b20.htm/

 

ここで僕はこの金融政策の発表が、相場の上昇につながると解釈しました。

※アベノミクスが始まってから、過去2回の金融政策の発表が行われたのですが、この時は相場は物凄く大きな上昇を見せていたためです。

 

ライブ中継でも、プロのおじさんが

「これから相場は上がります!」と高らかに宣言。

 

僕はここで全力買いに向かいました。ここまでのマイナスを取り返すべく信用取引でかなりレバレッジをかけて買いました。

しかし予想に反して相場は回復するどころか、真っ逆さまに下に落ちていったのです。

 

そして2016年2月12日

 

なんと日経平均は14800円台まで大暴落をしました。

たったの2ヶ月で20000円から15000円の大暴落です。

 

 

そして忘れもしません2016年2月12日。

この日、くしくも僕は27歳の誕生日を迎えました。

 

と同時に1300万円あった資金は、360万円になっていました。

 

もともと借りた資金でやっていた僕は、この時940万円の借金が確定しました。

 

 

今まで見たこともない借金の額を目の前にして、ここで自分がいま取り返しのつかないことをしたことに気がつきました。

絶望のどん底に叩き落とされ、思考が完全に停止し、ベッドで何時間もただただ天井を見上げていました。

 

 

ちょうどそんな時、携帯がなりました。

 

親父からのメールでした。

 

・・・

 

親父・・・、ごめん

 

これを見たとき涙が止まらなくなって、返信することができませんでした。

 

この27歳の誕生日を僕は一生忘れることはないでしょう。

 

借金地獄

 

27歳になったこの日から僕の本当の意味での借金生活がスタートしました。

まず何があっても友達が帰国するあと1年とちょっとで、友達に900万円以上のお金を返さなければいけません。

 

ここで僕は考えます。

 

ただ、考えれば考えるほど、どう考えてもやばい状況だということがわかりました。

株では年間1.5〜2倍にする手法しかしたことがない僕。

 

働いても年収が現状350万円ぐらいの僕。

 

これはどう考えても無理だ・・・

 

この時は本当に毎日が辛くて辛くて、血便が毎日止まりませんでした。

電車に乗るだけでお酒も飲んでいないのに過呼吸になりました。

 

もういっそ保険金をかけて死んでしまおうか。

この時ばかりは、自殺する人の気持ちがよくわかりました。

 

精神崩壊

 

考えに考えた末にでた結論が

『今から働いても絶対間に合わないからやっぱり投資で勝つしかない。』

 

そう決めてからは、さらに追加で銀行から50万円を借り入れ、いわゆる情報商材を買い漁りました。

そして行き着いた先は、『ハイレバでハイリスクな商品とデイトレで取り返すしかない』でした。

 

あらたに借り入れた50万円の中で個人トレーダーのマンツーマン指導を付けたり、新しいツールを導入したり、とにかく自分のお金と時間を全てを勉強につぎ込みました。

 

大好きだった理学療法士の仕事も、この時ばかりは身が入らないぐらい精神的におかしくなっていました。

 

 

でもそんな精神状態で勝てるほど相場は甘くありませんでした。

 

結局デイトレもうまく行かず。

最終的には日経平均の暴落に賭けて、一か八か日経平均先物を売りましたがトランプ大統領の当選で上がりまくって、資金が底をつきました。

 

今冷静に考えると、この時の自分は完全に精神的におかしくなっていました。

 

よく漫画やドラマの世界でギャンブルで借金を重ねて、それをギャンブルで取り返そうとする人がいます。

 

これを見て僕は、

「こいつほんと人間のクズだわー。終わってる」

 

と完全に引いた目で見ていました。

 

 

 

 

 

でも、クズは僕でした。

 

 

 

銀行の借金は自分だけの話だからどうでもいい。

でも人に迷惑をかけるくらいなら、本当に保険金をかけて死んでしまった方がいいかもしれない。

 

本気でそう思いました。

 

 

 

でも死ねませんでした。

僕には死ぬほどの度胸もありませんでした。

 

 

つづく

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私の当時の年収は300万円弱。 どこにでもいる、ごく普通の理学療法士でした。 そんな私がまさかの借金1300万円を背負うことに。4年間タダ働きをしても返せない、絶望的な状況でした。 でも今も諦めずに生きています。 失ったお金を必ず取り戻し、そして絶対「億り人」になる! そんな現在進行中のノンフィクションストーリーです。

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